麻生内閣メールマガジン(第9号 2008/12/04)
この人に聞きたい
[がんばること 夢はかなう](北京パラリンピック金メダリスト 石井雅史)
 私は平成5年に競輪選手としてデビューしました。少しずつ成績も上昇し、またロードレースの国際大会代表も内定、私生活では婚約、公私ともに一番充実していた平成13年7月、ロード練習中に車にはねられて、重傷。婚約者と一緒に住み始めてわずか1週間後のことでした。

 長く昏睡状態が続きましたが、婚約者や親の必死の願いが通じたのか、1カ月ほどして意識は戻りました。しかし、高次脳機能障害となり、手足にも障害が残りました。自分の年齢もわからない、ろくに話せず、歩くことも出来ない日々。

 そんな中でも外出許可をもらい、婚約者と婚姻届を提出しました。彼女はそれ以降もずっと私を励ましサポートしてくれています。

 障害は残り、残念ながら現役引退となり、事故から4、5年は目標も将来の展望も無く、「出口の無い迷路をさまよっているかのよう」な日々でした。

 しかし、日本競輪選手会の方から、障害者自転車競技・パラリンピックという新たな目標を紹介頂きました。大好きな自転車競技への愛着は事故にあっても全く衰えることはありませんでした。自転車で障害を負ってしまったにもかかわらず、妻も両親も「がんばれ」とサポートしてくれました。

 その後は北京パラリンピックで日の丸を揚げて君が代を聞くことを目指しました。オリンピックの監督・コーチだった方からの厳しい指導を信じ、全力で頑張って苦しい日々を乗り越えた結果、北京パラリンピックでは金1銀1銅1と3つのメダルを獲得することが出来ました。一緒に戦ってくれる人たちを信じて必死に頑張ると夢はかなうということを実感しました。ご支援・ご声援頂きました全ての方々に心から感謝申し上げます。

 北京で目標を達成出来たので、その後は何も手に付かない状況でしたが、10月21日に総理官邸で行われた北京パラリンピック日本代表選手団に対する記念品贈呈式において、総理から「国民の皆さんを勇気づけてくれた」といった話を聞き、誇りに思い、また新たな目標に向かって頑張っていこうと気持ちを新たにしたところです。

※ 北京パラリンピックの情報は、財団法人日本障害者スポーツ協会のホームページから提供されています。

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