麻生内閣メールマガジン(第17号 2009/02/05)
この人に聞きたい
[ゼロから夢への挑戦〜地方の活性化が日本を変える!]
(株式会社大分フットボールクラブ 代表取締役 溝畑宏)
 1990年、自治省(当時)から大分県に出向し、入省時から「地方の活性化なくして、日本の活性化はない」と志を持って取り組んでいた中で、大分県に赴任し直面したのは地方の厳しい現実でした。

 地方分権を推進するためには、法律・制度の整備・運用も重要であるが、地方の地域住民が自分の住んでいる地域に自信、元気、誇りを持ち地方から日本、世界にチャレンジしていく「志」、「夢」、「活力」を生み出す仕掛けが必要であると痛感しました。

 その時、ワールドカップサッカーの日本誘致の話があり、当時イタリアで行われていたワールドカップで大分よりも人口が少ない町も会場になり、その熱狂を現地で観戦し、これだと感じたのです。そして2002年ワールドカップの大分開催の誘致活動を通して、スタジアムを建設し、その利活用としてチームをつくることで、このチームが地域の核になり、地域振興のモデルになると考え、「ゼロから日本一」を目標に親会社を持たない中、県民・企業・行政が三位一体となり、「地域貢献」、「世界に通用するクラブづくり」、「夢は必ずかなう」という理念のもと、英語で「三位一体」を意味する「トリニティ」にちなみ、「大分トリニータ(当時トリニティ)」はスタートしました。

 1994年4月に選手、練習場、オフィスもない、まさにゼロからのスタート。最初の公式戦の観客は3名、野球場のマウンドを削り練習を行うなど、苦難の連続でした。そしてJ1昇格のチャンスを3度逃しながらも2002年にはJ1昇格を成し遂げました。J1昇格後も経営危機や成績不振など幾多の試練を乗り越えました。私もこのプロジェクトを推進するために命がけで取り組むべく、2004年には社長に就任し、2006年3月には公務員を退職しました。

 そして設立14年目の昨年には、幾多の試練を乗り越え、長年の地域密着の地道な努力が実を結び、Jリーグヤマザキナビスコカップにおいて日本一になり、決勝戦には大分から1万人が東京に駆けつけました。またJ1ホームゲームの観客は平均2万人を超え、昨年のホームゲームでは11勝4分2敗と好成績を残すことができました。

 我々は、地方都市というハンデを逆に地域密着という武器にかえ、ゼロから日本一になったことを、サッカーやスポーツのみならず観光、産業、地域づくり、教育など様々な分野で夢は必ずかなうというマインドを波及させることに役立てて、大分県のみならず地方都市の活性化のモデルケースになりたいと考えています。そしてリーグ優勝、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)優勝、世界一を目指して今まで以上に地道かつチャレンジャー精神を持って大分県民、サポーター、スポンサーと共に頑張っていきます。

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